山形地方裁判所米沢支部 昭和36年(わ)141号 判決
被告人 渡部文雄
昭一五・一一・八生 家事手伝
一 主 文
被告人を禁錮四月に処する。
ただし本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。本件公訴事実中、酩酊運転禁止違反の点ならびに交通事故の場合における負傷者の救護措置等の義務違反の点については、被告人は無罪。
一 事 実
被告人は自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三六年一〇月三〇日午後七時頃米沢市塩井町塩野一、九四一番地高橋太郎方で清酒約三合を飲み、同日午後八時三〇分頃同人方を辞し、自動三輪車(山形六―せ〇三八三号)を運転して、同市同町方面から同市徳町に通ずる巾員四・一米の道路中央附近を時速約四〇粁で南進し、やがて同市塩井町塩野二、二七〇番地附近に差しかかつたのであるが、その頃被告人は右飲酒のため気分が快活となり、鼻歌などを歌いながら運転をしていたものであるが、とかく飲酒した場合は注意力が散漫となり、前方注視が不充分になつたりするなど運転に必要な注意力を欠き易くなるばかりか、同所附近は巾員四・一米という狭い道路であり、非舗装の街燈もない暗いところでもあるから、このような場合、被告人としては気分を緊張させたうえ、前方を充分注視して運転するのは勿論、臨機の場合適切な運転措置ができるような速度と方法で運転し、事故の発生を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるのにかかわらず、鼻歌などを歌ううわついた気分に終始し、そのまま運転を継続しても事故の発生がないものと軽信して、右の義務を怠り、漫然前記速度と状態のまま運転をしたため、進路前方左側に自転車から降りて、両手で自転車を押えながら、その右側に佇立退避していた小野直衛(当五四年)の右側を通過する際、同人に接近しすぎ、車体左側部を同人の右手に接触させて、同人を路上に転倒させ、よつて同人に対し、加療約一ヶ月半を要する右中指開放骨折兼伸筋断裂、右手肯裂創、左頭部挫創、左耳翼部裂創等の傷害を与えたものである。
一 証 拠(略)
一 無罪理由
一、酩酊運転禁止違反の点についての本件公訴事実は、被告人は酒に酔い、その影響により正常な運転ができないおそれがあるのに昭和三六年一〇月三〇日午後八時四〇分頃米沢市塩井町塩野二、二七〇番地附近路上を自動三輪車を運転したものである、というのである。
被告人が、同日午後七時頃から午後八時三〇分頃までの間、同市同町塩野一、九四一番地高橋太郎方で清酒約三合を飲んだ後同人方を辞し、自動三輪車を運転して午後八時四〇分頃同市同町塩野二、二七〇番地附近路上に差しかかつたこと、その頃被告人は、右飲酒のため気分が快活となり、鼻歌などを歌いながら運転していたものであることは判示事実によつて明らかであるが、被告人がその頃身体に血液一ミリリツトルにつき〇・五ミリグラムまたは呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上にアルコールを保有していたことを認めることのできる証拠はない。
いうまでもなく道路交通法によつて処罰の対象となる酩酊運転たるには、まず車両の運転者が同法六五条の酒気帯び運転の禁止規定に違反した者であること、即ち運転者が身体に血液一ミリリツトルにつき〇・五ミリグラムまたは呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上にアルコールを保有する状態にあること(同法施行令二七条)を必要とし、つぎにその違反者のうちアルコールの影響により車両の正常な運転ができないおそれがある状態にある者であることを要するという二つの要件が必要であることは同法一一八条一項二号の規定によつて明らかである。従つて同法が酩酊運転たるための前提要件として、このようにアルコールの保有量に数学的基準を設けたのは、とりもなおさず飲酒による酩酊の度合が人により極めてまちまちであることから、血液または呼気に保有するアルコールの量の科学的判定を基礎として、酩酊運転を意義づけたものと認めるべきであつて、かかる科学的判定を経ない場合には、(科学的判定方法以外では、その保有量は判定し得ないであらうから)結局その保有量は不明に帰し、右の前提要件を欠き、酩酊運転たり得ないものといわねばならない。このことは無謀操縦の一態様である酩酊運転についての旧道路交通取締法の規定と対比しても明らかである。即ち旧法はその七条二項三号において、「酒に酔いその他正常な運転ができないおそれがあるにかかわらず、諸車又は軌道車を運転すること」として、酩酊運転を規定している。従つてこの場合は、車両等の運転者の顔貌、歩行、直立能力、言語、着衣の状態等の外観的観察よりその者が相当程度に飲酒しており、その影響により車両等の正常な運転ができないおそれがあると客観的に認められることをもつて足り、その者が血液または呼気にどの程度のアルコールを保有しているかどうかは問うところではなかつたのである。しかるに現行道路交通法はこの規定をそのまま承継することなく、酩酊運転たるためには、まず身体に一定量のアルコールの保有を必要とし、つぎにそのアルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態にあることを必要としている。これは道路交通法が旧法における酩酊運転の判定方法、即ち前記外観的観察等による判定方法のみに満足せず、アルコールの保有量が法定の基準に達するか否かについての科学的判定を要求し、その判定を基礎に酩酊運転を意義ずけたものにほかならない。
なお検察官は、被告人は飲酒の直前清酒約三合を飲んでいたのであるから、当時呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上にアルコールを保有していたことは明らかである旨主張するが、たとい被告人が清酒三合を飲んだとしても、そのことから直ちに検察官主張のように結論する実験則は存しない。(即ち前記のとおり飲酒による酩酊度は人により極めてまちまちであるばかりか、同一人であつても、飲酒量はもとより、飲酒に要した時間、飲酒後の経過時間あるいは飲酒当時の心身の状況によつて、その酩酊度が異るから、かかる実験則そのものがあり得ないと考えられる。)
以上によつて明らかなとおり、本件には被告人が当時どの程度のアルコールを保有していたかを知る科学的資料がなく、結局その量は不明に帰するから、前記公訴事実については刑事訴訟法三三六条後段により無罪の言渡をすべきである。
二、交通事故の場合における負傷者の救護措置等の義務違反の点についての本件公訴事実は、被告人は昭和三六年一〇月三〇日午後八時四〇分頃米沢市塩井町塩野二、二七〇番地附近路上を自動三輪車で進行中、小野直衛を追い越すに際し同人を接触転倒させ、傷害を与えたのに、これを救護し、道路における危険を防止するなど必要な措置を講じなかつたものである、というのである。
被告人が右日時、場所において自動三輪車を運転中、小野直衛に対し傷害を与えたことは判示事実によつて明らかであり、前掲各証拠によれば、被告人はその際右負傷者の救護や道路における危険を防止するなど法令に定める事項の措置を講じなかつたことを認めることができる。
ところで被告人は、当公廷において、自分が運転中の自動三輪車を小野直衛に接触させ、同人を転倒させたことについての認識はなかつた旨供述し、司法警察員に対しても同旨のことを供述しているが、検察官に対しては「或は今の自転車に接触させ、それを倒した音ではないかと思つたのでしたが、車を停めもせず………家に帰つてしまつたのです」(被告人の検察官に対する供述調書)と供述し、いわゆる未必的に認識があつた旨供述している。
従つて問題は、この点についての当公廷での供述と検察官に対する供述のいずれに信用性があるかどうかにあるので、以下においてこれを検討する。
(一) 検察官に対する供述調書によれば、「前方一〇米位の左側を進行してゆく自転車を見付けたのですが、それを追い越した際ガチヤと音がしたのです。始め荷台のうしろのドアが倒れたのではないかと振り向いて見たら、ドアはそのままでしたので、或は今の自転車に接触させ、それを倒した音ではないかと思つた………」旨供述しているのであるが、この供述で注意しなければならない点は、被告人がガチヤという音を聞いて、先ず荷台のドアが倒れた音ではないかと思つた旨の供述である。(この点は当公廷でも一貫して供述しているところであつて、これを動かすに足りる証拠はない。)即ち、被告人が右ガチヤという音を聞き、荷台のドアが倒れた音ではないかと思つて後を振り向いて見たところ、ドアはそのままであることが判り、直ちにその音を自転車の転倒した音に結び付け、或は自分の車を自転車に接触させ、それを倒した音ではないかと考えるためには、その自転車を追い越す際、なんらかの危険感、即ち多少なりともその自転車と接触するのではないかとの危険を感じていなければならないとするのが自然である。(仮に何らの危険を感じていなかつたのに、或は自分の車を自転車に接触させ、それを倒した音ではないかと考えたとしても、自分の車と接触したことにより、転倒したことを現認しない以上、そのまま行き去ることは認識ある過失によるものと認めるべきであらう。)しかるに右供述調書によつても、被告人が前記場所附近を進行中、このような危険感を感じたことが認めることができないばかりか、検察官の全立証によつてこれを認めることができない。
(二) 被告人が右の危険感を感じなかつたことは、被告人の前方注視義務違反の過失を物語る最も顕著な証左であり、被告人が当時注意力散漫な状態で運転していたことにほかならない。従つてこのような被告人がガチヤという音を聞いて、荷台のドアが倒れた音ではないかと後を振り返つて見たところ、ドアが倒れていたわけではないのに、その音がどういう音かについて、「そんなことは別に考えないで来ました」(被告人の第一回公判廷での供述)としても別に異とするに足りない。
(三) 仮に被告人が本件事故を認識していながら、そのまま逃走していたのであれば、心に相当の動揺がある筈なのに、被告人は帰宅直後、同一自動三輪車で家業の米の配達をしており、(被告人の当公廷での供述、被告人の司法警察員に対する昭和三六年一〇月三一日付供述調書)かかる動揺の形跡が見られない。しかも被告人は、その後就寝中、警察官の来訪を受け、当夜の運転経路を聞かれたのに対し、正直にこれに答えているばかりか、翌日警察官より指摘されて、始めて本件事故の痕跡である自動三輪車に肉片や血痕の附着しているのを知つている。(被告人の当公廷での供述、被告人の司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の捜査報告書、米沢警察署主事我彦省三作成の血痕及び肉片写真撮影報告書)
以上の諸点や検察官に対する前記供述によれば、被告人がガチヤという音を聞いたのは、進路左側を進行中の自転車を追い越した際であるが、本件事故の被害者である小野直衛は被告人の進路左側に自転車より降り、両手で自転車を押えながら、その右側に佇立退避していたものであることは判示事実によつて明らかであつて、右の供述におけるように自転車で進行していたのではないこと、ならびに被告人の当公廷での供述態度を綜合すると、被告人の検察官に対する前記供述はとうてい信用できず、当公廷での供述に信用性を認めるべきである。
そうすると、前記公訴事実は、結局犯意についての証明がなく、刑事訴訟法三三六条後段により無罪の言渡をすべきである。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 丹野益男)